画角、スケールあるいはフォーカスの話。

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どうもSNSの中でもTwitterというのは、距離感を掴むのが難しい。

狭い範囲でフォローする人を絞り、好ましいTLとするのもいいけど、どうしてもより広くいろんな楽しみ方を知りたいと思って増やし、広げてしまう。そうすると全体的にTLがぼやけてしまい、ノイズも増えていく。

結局、うまく収める方法がわからず、心の平穏を優先して模型アカウントは閉じてしまった。たぶん、そのままだと思う。

先日も有名メーカーが新作予告を出したことで、TLは大いに盛り上がった。カラーリングやデカールの話、またはアフターパーツなど話題は尽きない。読んでいて僕自身も買う予定がないのに楽しくなってしまった。しかし、一方でここ最近の魅力的な飛行機模型は1/48で発売されることが多い。どちらかというと大きめに完成するスケール。これが僕には悩ましいところで苦手意識が勝ってしまい、まず買うことはない。普段はもっぱら1/72か1/100あたり。ここらへんのスケールでやっていると1/48は集中力を続けることができず、塗装もたぶんムラができる。

愚痴を言いたいのではなくて、このサイズ感というのが、意外と大事なんじゃないかと思うのだけどどうだろうか?あまり小さいスケールだと、精密な工作が必要で疲れる。けれども大きすぎると集中力が続かない。その人、その人の中でしっくりくるスケール、ちょうどいいサイズ感というのがあるのではないだろうか?ところで、カメラ趣味の間でよく言われるのが、画角と年齢の関係。若いうちは35mmくらいまでを愛用し、年配になると50mmくらいに嗜好が移るという話。被写体をどういうサイズ感で収めるか、そこらへんは写真の画角の問題に似ているのかもしれない。

1/48の新作が多いのは、モデラーが高齢化しているからと教えてもいただいた。そうすると、僕自身もそのうち35mmが50mmになるように、1/72が1/48に移るときが来るのだろうか?もしそうなら、今はご縁がなさそうな1/48に魅力的なキットが増えるのは、将来にとっては好ましいことなのかもしれない。

キットの余白

唐突だけど、三発機ってロマンだと思いません?

って圧高めに切り出しましたが、以前からプロペラの三発機が欲しいなぁと思っていたところに、ITALERIのJu 52/3m "See"がゲットできたので作ろうと意気込んでいたのですが、いかんせん1/72だとちょっと大きすぎる。でも三発機はつくりたい。そこで1/144くらいの手ごろなのはないかと物色していたところ、ズベズダが1/200を出しているということで、作ってみました。

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キットはこんなかんじです。新鮮だったのは、ボディがモナカ構造というか貼り合わせで作るのではなくて、そのまま樹脂の塊だったことです。なので、パーツを外して、ナイフでバリを除去し、組んでみると5分で形になりました。しかもスナップフィット。

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ストレスフリーで形になるので、あとはシルバーリーフのスプレーで機体を塗装。うんうん、ジェラルミンの感じが上手くできたかも。そして窓とコックピットはニシオモケイテンさんのお勧めでネイビーブルーに塗装。あっという間に完成しました。

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手元にこんな素敵な三発機が時間もかけずに置けるなんて素晴らしい。でも、心残りだったのはボディが内部構造も作れない樹脂の塊だったこと。出来上がりも早くなるし、見栄えもいいので、この設計で満足なんですが、樹脂に埋まって機体内部を作る可能性がほぼないと思うとちょっと物足りなく感じてしまいます。

この気持ち、ちょっと深めてみると、僕が飛行機プラモに求めているのは「可能性」なのかもしれない。プラモの箱に思い入れがあるのは箱の中に未完成のキットが存在しているということに、しみじみと幸せを感じるから。キットの内部空間を好ましく思うのは、内部構造を作ることができる可能性を手中にしているから。ということは、僕が買っているのはキットではなくてキットが作り出す空間であり、どのようにも作ることができる可能性なのかもしれない。余白は単体では存在できない。周囲の構造があって初めて余白は定義される。そんなことをボンヤリ考えながら作ったプラモでした。

なぜ便利な道具を求めるのか?

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何かを作ろうと試みていると、気がつけば道具でいっぱい。

こういう現象はいろんな場面で経験する。例えば料理。最初なんてナイフ、まな板、フライパン、鍋くらいで色んなものを作ってたのだけど、気付くとピーラー、厚焼き卵用のフライパン、ポテトマッシャー、スパチュラなどなど。文章を書くのだって、最初はiPadのメモで済ませてたのが、気づけば写真加工アプリとか、ファイル共有アプリとか、数式を手書きで書いてTeXにしてくれるアプリとか、もうアプリだらけ。

プラモデル製作を久しぶりに再開したとき、最初は食卓テーブルの上で、ニッパーとデザインナイフ、カッターマットくらいから始まった。それが今ではどうだろう。カラーはうず高く積まれ、カラーごとの番号を付けた筆が筆立てにギッシリ。クリップや塗装ベース、最近ではとうとうエアブラシに塗装ブースまで購入してしまった。

なんかちょっと違う。

そういう模型ライフを目指していたのか?と考えると必ずしもそうではなかったことを思い出す。ほんとは、家族と一緒にいるテーブルでささっと、ちょこっとずつ作るような趣味にするはずだった。そこで思い出すのは、自分にとって必要十分とはなにか?ということ。

道具を増やすのはなぜか?つまるところ、作業のストレスを少なくすることなんだと思う。ストレスが減ると失敗も減るし、模型の精密さに集中力を回すことができる。作業にストレスがないと、新しい工夫にも挑戦しやすくなったりする。では、自分にとって道具を増やす理由とは?自分が作りたい模型は、憧れや、思い出や、連想する様々なイメージを形にするような模型。そういう自分の「作りたい」にプラスになるのか?という観点で道具を吟味してみたいと思った。おそらく、道具をどこまで揃えるのか?には、最適量があるのだと思う。必要十分な道具でサラッと作る模型に憧れてしまうのだ。

あの日の自分と対話する

自分がプラモデルを一番作っていたのは小学校高学年のとき。色も塗らずにそのまま組んでデカール貼って終わりという簡単な遊びだったけど、自分の部屋の衣装ダンスの天面を駐機場に見立てて遊んでいた子どもだった。

当時の好みはミリタリー路線で、その中でもF-104スターファイターがお気に入りだった。ハセガワのマルヨンで自衛隊機を作った後、どういうわけか田舎のプラモ屋で見かけ、一目惚れしたのがこのカナダ空軍仕様のレッドインディアンだった。オークションサイトで探したらあったけど、イタレリだったような気がするんだよなぁ。気のせいか。

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ハセガワよりははるかに高価なこのプラモデルを手に取っての初めての輸入プラモ体験の結果は散々。

まず、樹脂の性質が全く違って、パリパリのモナカのようなプラスティック。ちょっと力を掛け間違えるとあっというまに割れてしまう難しさ。成型色こそ赤色で塗装できない自分にとってはありがたかったけど、それも薄くてなんかチープ。小学生の思考力なんてそんなもんである。文句ばかり。

 

で、結局、自分の技術力を棚に上げて散々な結果となったレッドインディアンはデーカール貼り作業に達することなくゴミ箱行きになったのである。残念。最近、そのことを思い出して、当時は何を作りたかったのか?ということをずっと考えていた。つまり、何に惚れたのだろうかと。

自分は真っ赤なスポーツカーのような惚れ惚れとするマルヨンのシェイプにマッチした白の矢、黒のノーズコーンのシックさ。これが見たかったんだという結論に。で、作ってみましたよ。今の諸々の条件の下ではこれが精一杯。そもそもオークションでしか手に入らないプラモなのでハセガワのCF-104で代用。今回はカラーリングの再現に絞りました。

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実際作ってみてどうだったかというと、これが結構満足だったんですねー。また次はこうして再現してみたいっていうのがポジティブに思い浮かぶような体験になりました。子どもの頃に忘れた宿題が半分くらい終わった気分になりました。

必要にして十分

もうプラモ作るのもめんどくさくなってしまったのだけど、やはり、自分の生活には欠かせないもので、山下達郎のように「棚からひと掴み」という具合に手にとってみたのが、初めての共産圏戦闘機、Mig21 Fishbed Fだった。

結論から先に言えば、一番、興味のなかった共産圏の戦闘機のいにしえのキットが自分にとってのベストキットになったかもしれないということ。

まずは、この部品点数の少なさ。でも、少なすぎるわけではない。

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組立て説明書も3工程しかなかった。胴体作って、羽根つけて、足回り付けておしまい。実際にそれだけで終わってしまう。

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で、形ができたら下地を塗って、タミヤの缶スプレーで銀色に。

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デカールはなんとか生きていたので、崩れつつもデカールを貼ると、はい完成。

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自分史上最速で完成したかもしれない。塗装の乾燥などがあるので、2日かかっているが、実質は2時間くらいで出来上がっているのかも。

とにかく、このキットは、1960年代のキットということで、共産圏の情報があまりないままに製作されている。したがって、デカールなど実機の情報が極めて少ない中でリリースされているので、非常にシンプル。コックピットも簡単な作りだし、作業の手軽さ、精密さ、組み立てもパチピタではないけど、だからってガバガバなわけではない。全体的にバランスが非常にとれているキットだった。一晩でここまでの満足が手に入るって本当に素敵なこと。「Consolationとしてのプラモ」のひとつの答えがここにある。

 

 

精密なことはいいことか?

近年、新しい金型で生産されているプラモデルは本当に感心するしかないというほどリッチに精密な再現になっているのはご存知の通り。計基盤のメータやら内部の骨組みなどとにかく精密であることが素晴らしいプラモデルの証明となっているかのようだ。

実際に、その精密さを活かした作例を見せるプロのモデラーの作品などをみると、このキットさえ手に入れれば、自分にだってここまでの精密さをもってさらに上を目指すことだって夢じゃないかもしれないなんて思ったりもする。

でも、実際どうなのか。僕自身はプラモデルを楽しむための素材とみなしている部分があって、まず第1に自分が楽しめなきゃいけない。そういう僕が最近のプラモデルを作ると、どうなるか。下手な技術力と精密なプラモデルの間に抜き難く存在する深い谷があることをまざまざと見せつけられる感覚に囚われてしまい、できあがりを見ても惨めな気持ちになることも多い。要は、まったく釣り合っていないのだ。

こういうことを言うと「だから精密なキットに釣り合うよう自分の技術力を上げるために頑張ろうって思えるんですよ」なんてさわやかに言われてしまうのだけど、正直に言って、それが非常に煩わしい。こちとら仕事ですり減った神経をささやかな満足感で修復していこうくらいの気分でやってるのに。出来上がりを見て「お、なかなかカッコいいじゃん」なんて思いながらビールのひと缶でも飲んで眠れれば上等なんだよ。そういう技術力向上主義も否定はしないけど、オッさんの僕にとってプラモは「consolationとしてのプラモ」なのだ。だからほどほどに精密で、ほどほどに組み易ければもう言うことはない。組んで隙間が空いちゃってもいいの。気が向けばパテで埋めるし、気分じゃなければそのままにするし。色も塗るかもしれないし、塗らないかもしれない。

consolation(なぐさめ、敗者復活戦)としてのプラモ。最近、惨めな気分になることが多いオッさんは今晩もまた素朴な面白さのあるキットを夢見て眠るのである。

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さて、いろいろ思うところがあったり、なかったりでtwitterのアカウントを閉じました。そのまま残しとこうとも思ったのですが、変な未練が湧いてきても困るのでさっさと閉じようと。これまでいろいろ親切にしていただいた方には不義理になってしまって申し訳ないとも思うのだけど、もう10年なのでここらへんで区切りだと思うのです。

ネットプリントを使ったミニコミ誌のようなもので、できるだけ唯々プラモが好きな人が、どう思い、何を楽しんでいるのかを共有してみたら面白いかもと思いながらやってみましたが、お陰様で面白がってくれる人もボチボチ現れて、僕としては大満足。感謝しかありません。でも、素人が素人としてどういう面白さを語るかというテーマでやっていくと、必ず周囲から「完成度の低い半端もの」という印象を与えることは避けられません。いや、素人が作ることと成果の品質は本来関係なく、プロフェッショナルに比肩する成果を出すことも可能なんでしょうが、そこに本質があるとは思えないのです。何よりも、そんな素人のお遊びでプロと同列にできる成果を出すなんて甘いことは毛頭考えていません。僕自身は趣味や文化的な営みというのは、有象無象の過剰の中から生まれてくるという考えを持っていて、今回の試みも過剰さを産み出す一滴になったら素敵だなぁと思っておりました。そういう意味では、この遊びが終わったあとにもいろいろな楽しみを見出してくれる人が出てきそうでとても楽しみです。

というわけで、このまま続けても「中途半端な品質」にまつわるコメントはこれからも尽きることはないと思いますし、それを引き受けて継続していくほど根性があるわけでもないので、アカウントごと終了とさせていただきます。

ただ、すでに発行予定で作っていた原稿がお蔵入りしてしまったのは悲しいので、興味のある方は、下記のアカウントからどうぞ。

さて、これからどうしましょうかね。

 

Air Model Letter Vol.1 No.7 BAe Hawk Red Arrows, Fujimi 1/72

twitter @air_model