なぜ便利な道具を求めるのか?

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何かを作ろうと試みていると、気がつけば道具でいっぱい。

こういう現象はいろんな場面で経験する。例えば料理。最初なんてナイフ、まな板、フライパン、鍋くらいで色んなものを作ってたのだけど、気付くとピーラー、厚焼き卵用のフライパン、ポテトマッシャー、スパチュラなどなど。文章を書くのだって、最初はiPadのメモで済ませてたのが、気づけば写真加工アプリとか、ファイル共有アプリとか、数式を手書きで書いてTeXにしてくれるアプリとか、もうアプリだらけ。

プラモデル製作を久しぶりに再開したとき、最初は食卓テーブルの上で、ニッパーとデザインナイフ、カッターマットくらいから始まった。それが今ではどうだろう。カラーはうず高く積まれ、カラーごとの番号を付けた筆が筆立てにギッシリ。クリップや塗装ベース、最近ではとうとうエアブラシに塗装ブースまで購入してしまった。

なんかちょっと違う。

そういう模型ライフを目指していたのか?と考えると必ずしもそうではなかったことを思い出す。ほんとは、家族と一緒にいるテーブルでささっと、ちょこっとずつ作るような趣味にするはずだった。そこで思い出すのは、自分にとって必要十分とはなにか?ということ。

道具を増やすのはなぜか?つまるところ、作業のストレスを少なくすることなんだと思う。ストレスが減ると失敗も減るし、模型の精密さに集中力を回すことができる。作業にストレスがないと、新しい工夫にも挑戦しやすくなったりする。では、自分にとって道具を増やす理由とは?自分が作りたい模型は、憧れや、思い出や、連想する様々なイメージを形にするような模型。そういう自分の「作りたい」にプラスになるのか?という観点で道具を吟味してみたいと思った。おそらく、道具をどこまで揃えるのか?には、最適量があるのだと思う。必要十分な道具でサラッと作る模型に憧れてしまうのだ。