割り切れるようで割り切れない話。

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Air Model Letter(AML)というプラモの完成についてあれこれ綴った記録を作って、ネットプリントでも印刷できるように公開する遊びを細々と飽きもせずやっているわけですが、作った模型をすべてAMLにしているわけではなかったりします。上に掲載した写真の飛行機もその一つ。第2次世界大戦期にイタリアの空を飛んでいた飛行機、Reggiane RE2002 Arieteです。イタリアのスーパーモデルというメーカーのキットで、作りやすく、ほどよい細密さで非常に楽しい製作体験でした。塗装も比較的上手くいって、いつもなら皆さんに見せびらかしたいと思うはずなのですが、困ったのはラウンデルのマークです。

イタリア旧軍機に使われているラウンデルには何パターンかあるのですが、このラウンデルは「ファスケス」といって、ルーツはローマ帝国の執政官や皇帝の行列の目印として斧を木で束ねたものを図案化しています。この権威の象徴をムッソリーニ率いるファシスト党は自らのシンボルに利用しちゃったわけです。

さて、そういう歴史的背景を背負ったプラモデルを作ってAMLに仕立てようというとき、果たして「楽しかった!カッコいい!」といういつもの調子でまとめて世に出していいものだろうか?困りました。結局、ファスケスはファシスト党だけの図像ではないことを理由にデカールを貼ったものの、AMLにまとめることはできませんでした。

戦争の悲惨な負の記憶は、何らかのシンボルと結びつき、シンボルそれ自体にはなかった意味も纏うようになっていきます。ドイツの鉤十字もそうです。

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これはHellerのキットですが、垂直尾翼に注目すると鉤十字が黒塗りになっています。このように、歴史の記憶に結びついた図像を含んだプラモの製作は途端にややこしいものとなってしまいます。「歴史は歴史、プラモはただの玩具」「飛行機のかっこよさと戦争は別」確かにそうなのかもしれません。分けて考えられないのは理性的ではないのかもしれません。しかし、僕自身がプラモ製作で楽しんでいる「考証」という行為は、そのモチーフを起点として当時の様々な社会や文化と繋がっていく回路を開く行為だと思っているので、やはり無関係とするのは難しいのです。

そして、これまではそういう難しさを共有しながら、お互いにプラモを楽しめていたのが、SNSなどでオープンアクセスの度合いが高まってしまったことで、さらに難しさが高まってしまいました。いろいろな考えをもった人たちが楽しんでいる趣味の世界で、場合によっては外の人たちとのコンタクトが生まれる状況で、いかに頭ごなしに否定するような言葉を投げかけず「尊重すれども、関与せず」のスタンスで臨めるのか、これも難しいテーマだと思います。

このような答えの出ない課題を内包し、一方でコミュニケーションの場のコントロールが難しくなっていることを薄々気づきながら進めていたこの趣味の難しい部分がこの戦争で一気に前景化したような気がします。結局のところ、自分で考え、自分で選びとっていくしかないという答えになっていない答えに行き着いてしまうのですが、今のところ選びとる余地のある世の中であることは尊く守りたいものだなと思っているところです。

こだわりを捨て去れ

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この数ヶ月間、目に見えてプラモデル遊びがスランプというか、面白く感じなくなっていました。自分でも理由がわからず、飽きたのかなぁとか、眼高手低になってしまっているんじゃないかとか、あれこれ原因を考えてみたのですが、どうもそうではないみたい。

加えて、プラモデル自他にも興味を失いつつあり、そんな中でプラモデルのあれこれについてお馴染みの揉め事というか、しょーもないガキのケンカのようなやりとりがTLに流れてきたり、妙にポジティブ圧力というか同じような様式美になりつつある話題が繰り出されているのを見ていると、あーもうやんなっちゃったなぁという面倒な気分になってしまいました。バントウスペースのような大人なスペースがなきゃもうグレてたかも。

ということでアカウントも休止して(今もほとんど開店休業)、プラモデル関係の話題は見ないようにしました。で、あるプラモデルを手に取って誰とも交流するわけでもなく、ちまちま作り始めたんですが、ここに来て気づきが。

どうやらプラモデル趣味に倦むようになった理由は、自分の性質を勝手に決めつけて、上手くその通りにいかなかっただけだったみたいなんですね。最近、仕事が現職に移って3年目を迎えて急に忙しくなり、時間もタイトになってしまった。それに加えて自分は週末に組み上がらないプラモは飽きてしまうから短期集中決戦でできるキットをという思い込み。どうやらここに全ての原因、誤りがあったようです。

当たり前過ぎて、わざわざ文章にする話ではないのですが、週末に組み上がらなくても、平日の夜中5分しかとれなくても、作れる時に作ればいいし、できなければできなくてもいい。また、余裕ができたら思い出したように組んでもいい。ただそれだけの話なんですよね。

プラモデル作りに自分スタイルを勝手に決めつけて自縄自縛になっている人がいたら、まずは自分で作った決め事を外してみてはどうでしょうか?自分で決めたことなんだから、自分で変えてもいいはず。そうすると、またプラモデルと別の付き合い方が生まれてくるかもよっていう話でした。

Air Model Letter的愉しみ。

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モチーフに閃きを得て資料を漁り、キットが手に入ったらひたすら閃きを形に。実際、上手くできたかはさておき、完成できたら嬉しいもんです。しかし、悲しいことにプラモデルというのは完成した時点が最高点。時間をとどめることはできず、光による劣化も避けられない。そう考えるのは悲しいけれど、だからこそ嬉しい気持ちをそのままに、完成させた模型の一番楽しい瞬間を残したいと思うようになりました。これがAir Model Letterを作るきっかけです。

Air Model Letterを作る時に考えたポイントをまとめると次のようになります。

・作りたくなった動機を載せる

・完成させたときの楽しさを思い出せるように

・そのプラモがトリガーになった思い出も入れる

・そのプラモを作っているときの生活も盛り込む

楽しく完成したらその思い出を閉じ込める。そういうことを繰り返してたら、いつの間にか次のLetterで30号目になります。

雑学に話を見失う。

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ここ最近、TwitterのスペースでNippperのトークイベントやいろんなモデラーの方たちのスペースを聞くことで模型モチベーションが高まってきました。学生時代からラジオが好きだったので、模型製作とラジオのようなスペースは相性がいいみたいです。

そこで、週末金曜の夜にNippperでエデュアルドのウィークエンドエイディションを紹介していたこともあって、シンプルなキットに手を伸ばしました。それがKPModelのAVIA CS-199です。

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キットはこんな感じでした。Airfixの袋キットあたりと同じくらいのパーツ数です。でもAirfixと違ってキットの嵌合はおおらか。モナカを貼り合わせてもピッタリとはいきません。でもいいんです。週末を楽しむお供なので。

で、今回はプラモが主役ではなくて、こちら。箱なんですね。

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どうです?すごいでしょ?上の箱はカラー印刷した紙を貼っていて、下の箱にいたっては、糊代も設けず、ホチキスを止めた後に直角に曲げて箱に加工するという力業。そして、この下の箱、再生紙なんですよね。よーくみると、再生前の紙の破片や髪の毛みたいなものも入っている。再生紙としては極めて質が低いやつです。漂白すらしていない。

こういう再生紙って、本邦では江戸時代から続く再生紙で「浅草紙」と呼ばれたりしていました。浅草あたりに再生紙業者があって、江戸中から集めた反故紙を溶解して型枠に流し込み、再生紙を生産していたのです。反故紙なので墨がついており再生紙も薄墨色だったとか。

ちなみに、型枠に流し込む作業からヒントを得て海苔の「板海苔」が生まれ、煮て溶解された紙が型枠で冷えるまでのアイドルタイムの時間潰しに職人が遊ぶ気もないのに吉原をぶらいつて遊女にちょっかいをかけることを指して「冷やかす」という言葉が生まれたのだそう。

江戸時代に浅草紙のような低品質の再生紙が普及していたのは、正規品の紙がびっくりするほど高価だったから。とすればこのキットがリリースされた当時の社会主義国チェコ=スロヴァキアでも業務用のボール紙は高価だったのかも、なんて思いながら捨てずに捨てられず眺めた日曜日の夕方でした。今夜は手巻き寿司で海苔が食べたい。

大人の階段を軽やかに登りたいときのグライダー

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子どもの頃、写真ではなくカラーイラストだけで構成されていた子ども用図鑑を一揃え持ってたのですが、一番読み込んでいたのは飛行機と魚。三つ子の魂百までとは言ったもので、当時から異形好きというか、好きな魚はチョウチンアンコウとオオカミウオ。好きな飛行機は超大型輸送機のグッピーでした。ドラケンとかトゥンナンとか作っている今とほとんど変わらない。

その図鑑はどういう理由なのかわかりませんが、見開きの大きいスペースをグライダーに割いていたのですよ。グライダー。ヘンテコりんな飛行機やバッキバキのジェット機がお気に入りのキッズにとってグライダーというのは、基本的にエンジンが付いていない場合が多いし、やたら翼が大きくてのっぺりとしたイメージしか与えず、まぁ、一言で片付けると「地味」。それに動力がない乗り物に身を委ねて空を飛ぶなんて危険すぎじゃないの?なんでそんなの乗りたいの?くらいに考えてた子どもだったので、いつの間にか頭ではわかっているけど、感情的には眼中にない存在になってしまいました。

そんな子どもも父となり、息子と久々にテニスをした日の夜。脚の激痛と共に目が覚め「捻挫か?骨折か?」と整形外科に赴いたところ、医者いわく「状況を聞くと痛風かもねー。なったことある?」とサラッと宣告するではありませんか。あぁ、大人の階段をまた一つ登ってしまった。。。

その話を聞いたオクサンによって食事は一変、あらゆるプリン体を排除した献立に。するとどうでしょう、昆布だけで採った出汁とか大根の旨味、白く輝く大根を目にして思い出したのは、すべての無駄を削ぎ落とした白く輝き軽やかに風を捕らえるグライダーでした(ちょうどちょっと前に遺品キットからグライダーを発掘して組んだのを思い出しただけなんですけど)。

これまで力任せにグイグイと空を目指して飛んでいたような生活を離れてみると、あらゆる無駄を削ぎ落とし、風をつかまえ、上昇気流に乗って軽やかに駆け上る、そんなグライダー的な生き方、軽やかに着地したいものだなぁという感覚が心に芽生えてグライダーという飛行機がたまらなく素敵なものに見えてきました。グライダーを部屋に飾ると風が生まれます。軽やかな風が。ちょっと目線よりも上に飾ったグライダーが憂鬱な心を少しだけ軽やかに上へと押し上げてくれるのです。

プラモに遊んでもらう

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昨年末に比較的自分のイメージに近い複葉機、しかも張り線も施したものができあがってしまってから、惰性で二月も半ばになってしまった。その間、まったくプラモデルを作っていないわけではないのだが、いまいち心が乗らず、だらだらと作りかけを増やしていくだけだった。

AVIA B.534というチェコスロバキアの戦間期の飛行機を同じくチェコスロバキアのメーカーのキットで作っていたのだけど、これも惰性に近い。一番良くないのは、叙情派プラモデル愛好家なのでさほど知識のない飛行機にあまり思い入れができないという酷い理由だったりもする。ただ、B.534は下翼だけならメッサーとかスピットファイアみたいな第2次大戦期の花形戦闘機のような形をしているのに、なぜか複葉機というのが面白くて手に取ったくらいの思い入れはある。なんというか、風防もないような複葉機全盛期と第2次大戦期の間、進化の途中を表しているような、系統樹のミッシングリンクを見つけたような気持ちで面白がって作っていた。

今回のキットはKPモデルというところのやつなのだが、一見すると昔のエアフィックスのような雰囲気を持ちながら、まったく似て非なるもの。キャノピーは全然合わないし、支柱の位置もデタラメ。胴体の左右を貼り付けると、見事にズレているというキットだった。共産圏時代だからこんなものなのだろうか。で、こういうキットだから組んでもストレスになる人が大半なのかもしれないが、意外と楽しめている自分に驚くほど楽しく作っている。ズレを修正しようと力をかけつつ接着すると、逆側のズレが大きくなる。張り合わせたり、嵌め込んでみると見事に隙間が空く。これをパーツの素材の柔らかさをうかがうようにして力をかけ、隙間はボンドで塞いでいく。普通なら切る、貼るですむ作業が切る、貼る、ズレを直す、隙間埋めるのプラス2工程。

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今日になってなんとか形になり、屋外で缶サフを吹いていたら、手元が狂って落としてしまった。大破。おまけに支柱を1つ亡くしてしまう。雪解け後に支柱は芽を出すことだろう。普通なら精神的なダメージに立ち上がれなくなるところだけど、このキットに関しては「延長戦。ちょっと直してみよう」という気分でそのうち「この作業がこのまま続いてもいいかな」という感情が芽生えてしまった。

まったく不思議なキットである。どうやら僕はこのキットに遊んでもらっているようだ。ちょっと難しくて、ちょっとあきれてしまうようなこのキットはこう作ろうとすると必ず「こうだったらどう?」と次の問題を投げかけてくる。どんなキットでもおそらくちゃんと向き合えば、楽しく遊んでくれるはず。パチピタのキットにはないサッカーボールの取り合いのようなプラモ遊び。こんなプラモの楽しみ方もいいんじゃないだろうか。さて、果たしてB.534は完成するのだろうかという心配はあるけれど。

自分を投影させるプラモ

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F-15という戦闘機、すでに運用開始から44年という息の長さで日本の空もこのF-15Jで長年守られている。ステルス云々が始まる以前の戦闘機にあって、F-15はイーグルという愛称に相応しく、戦闘機デザイン上の頂上じゃないかと個人的には思っている。しかし、このF-15、デザインが洗練されすぎていて僕の中ではどうも魅力に欠けてしまうところがある。

美しい。美しいのだけど、美しすぎて個性がないというところだろうか。F-15ファンの方たちは、なにとぞ怒らないでほしい。F-15のデザインの美しさに異論はまったくないし、デザインの美しさで1機挙げるとすれば僕でもF-15を挙げたくなるのだから。

どうやら僕が魅力を感じるのは削ぎ落としたようなデザインの極値のような飛行機よりも、ちょっと個性的な特徴をもった飛行機のようだ。確かにここ1年で作ったキットも、ヴァンパイアやマジステール、パンサーにドラケン、トゥンナンとどれも個性的な魅力に溢れるものばかり。

そんな僕のところに本日届いたキットがこれ。Hellerの1/72、DH 89 Dragon Rapideだ。作例もたくさんある有名な機体だけど、僕が惹かれたのは袴のようであり、昔のJKのルーズソックスのような野暮ったさを持った双発エンジンと一体化したギア、張り線が巡らされた複葉機であるところだ。決して洗練されたデザインというわけではない。こういう野暮ったいところに自分を重ね合わせて、その機体が大空を優雅に飛ぶところを想像するのが楽しい。コンプレックスの裏返しなのかもしれないと思いながらも、無事、翼を広げられるように大事に作っていこうと思った。組み立てと塗装と張り線を考えながら組み立て順を再構築していく作業を組み立て説明書を読みながら構想しているのだけど、この時間が一番楽しいかもしれない。